昭和54年5月4日(金曜日)入院8日目
2:00 小水少々
5:20 点滴終了
8:50 「お小水がしたい」と言ったが空振り
10:25 今日の点滴1本目開始
11:00 ジュース3口と味噌汁2口程飲む
14:30 小水少々
14:50 点滴2本目取替え
20:00 何も食べてないのに全部吐いた。苦しそうだった。
20:30 小水少々出た
21:00 吐き気止めの注射をお尻にうつ
22:00 点滴取替え3本目
5月5日(土曜日)入院9日目 晴れ
1:00 全部吐いた
5:10 点滴終わり
7:00 「小水」と言ったが何も出ない
7:40 味噌汁を1口飲む
10:00 吐く
10:30 点滴を始める
13:30 吐く
14:00 小水少々
16:00 点滴取替え2本目
17:30 吐く
18:00 桃の汁、味噌汁を一口、二口飲む
19:00 小水少々
20:20 黄色の物吐く
21:15 吐き気止めの注射をお尻にうつ
23:10 点滴取替え3本目 小水少々
この頃から嘔吐の回数が増え、尿の回数が減ってきている。おそらく腫瘍の圧迫により
食物が通過せず、たまってそのまま吐いてしまう。腎臓の機能も低下していたのだろう。
吸収されない腎臓がいくら点滴で水分を補充しても尿として生成されず、尿も出ない。
ほとんど腎臓の機能が低下してきていることも伺える。
ベッドから起きている時間が少なくなってきていた。
今、思えば母が私たちを病院の玄関まで見送ってくれたことは一度もない。
病室から一緒に出たことも一度もない。母は日本海の見える、小さな個室で入院生活のほとんどの
時間を過ごしていた。今だったら・・・。車椅子に乗せて外の空気の吸える場所に散歩に出かけたり
窓を開けて、潮の香りを一緒に味わって気分を変えたりすることができたかもしれない。
今だったら・・・。