昭和54年5月17日(木曜日) 入院21日目 雨
0:00 吐く
0:10 小水少々
0:30 吐き気止めの注射を点滴の中に入れる
1:35 点滴終了
3:15 4:00 4:30 5:00 5:30 吐く・・・苦しそうに何度も・・
6:50 吐く・・・何も出るものがなく苦しそう
7:20 顔を拭き、口をゆすぐ
7:50 味噌汁スプーン3杯 重湯4杯飲む
8:15 濁った小水少々
8:50 番茶で口をゆすぐ
9:00 吐く・・・何もでなく唾だけ
9:30 検温 36.5℃
9:45 吐く
10:10 点滴開始1本目
10:40 体を拭く
11:25 血圧測定
11:40 点滴漏れ差し替えてもらう
11:55 吐くが何もでない
12:30 重湯スプーン3杯 かぼちゃの煮物を少し食べる
12:50 小水・・固まった血のようなものが出たので看護婦さんのところに持っていく
12:55 吐く
13:30 点滴取替え2本目
15:08 桃の汁と桃を1口食べる
16:10 小水少々
17:20 小水の出る注射を打つ
17:30 吐き気止めの注射を打つ
17:40 点滴漏れ差し替える
17:45 点滴取替え3本目
18:40 吐く
21:00 黄色いものを苦しそうに吐く (義理妹、義理姉泊まり)
21:20 小水少々 「目が回る」と言う
22:45 点滴終了
23:30 吐く・・・黒ずんだもの
母の体の中で容赦なく癌細胞は母を苦しめた。休む間さえも与えないくらいの吐き気、嘔吐
吐き気止めが聞く時間もわずかで、眠りにさえつけない一日だった。
胃や膀胱内で出血しているのか、貧血によると思われるめまいをこの日訴えた。
点滴もすでに毎日の差し替えと、それでも血管からもれてしまうために針がさせる場所さえも
少なくなってきていた。最後のときを迎えた母の腕は真紫で、色白だった母の本当の腕の色が
分からないくらいになっていたのを私は今でも忘れない。