昭和54年5月11日(金曜日)入院15日目 晴れ
0:15 お湯を1口のみすぐに出す
1:10 少し吐く
1:50 吐く(血が混じっている)
2:00 点滴終了
2:20 小水、大便少々
2:25 吐く、少し口をゆすぐ
5:20 小水少々(きれいな色のもの)
7:00 顔、手、歯磨きをする
8:00 お汁スプーン2杯、あさばの煮物を1口食べる
8:50 小水少々
9:55 検温 36.3℃
10:00 血圧測定
10:25 小水
10:30 吐く だいぶ苦しそうであった
10:40 輸血開始 200ml
11:10 黄色のすごくニオイの強いものを吐く
11:55 小水
12:10 輸血2本目
12:40 輸血漏れ左手に差し替える
13:15 輸血終了生理食塩液へ交換
13:50 採血
14:30 検温 36・7℃
15:00 吐く
15:30 吐く(長い時間吐き続けとても苦しいと言う)
15:45 大便
17:15 点滴取替え2本目
17:30 あさばの煮物を少し食べる 味噌汁少々も飲む
17:40 今食べたものを吐いた
17:55 小水大量
18:15 吐く
19:00 吐く(少し血が混じったもの)
19:50 小水
20:30 暑がるので熱を測ってみる 37.1℃
20:45 吐き気止めの注射をする
22:00 義理妹と交代 小水
22:15 少し吐く
23:10 点滴取替え3本目
23:35 大便少々
あさばの煮物は母の大好物であった。漁師である母の父(私の祖父)が釣った魚で作られた煮物。
それが母の好物。祖父はその数年後、他界したが、厳格で私たち孫にはとても怖い存在だった。
母の実家は7人兄弟の親戚一同とても仲が良かった。それは今でも変らない。
その当時孫たちが集まると孫だけで総勢16名、母の兄妹夫婦が全部揃うので30人以上が母の実家に集う。
私たちにとっては、その親戚があつまる行事が楽しみで仕方がなかった。
しかし、おてんばだった私は祖父にいつも叱られていた。それでも、祖父が私の家に泊まりに来るとき
などは楽しみで心待ちにしていた事を覚えている。
父方の祖父の存在を知らない私にとって唯一「おじいちゃん」と呼べる存在の人であったから・・・。
そして今はその孫たちのほとんどが結婚し子供を持ち。またその集う数は膨れ上がっている。
そして、その兄妹の中で一番早くに病気でこの世を去ることになった母であるが、今は交通事故で
亡くなった実の兄、同じく仕事場の労災事故で亡くなった実の弟たちと別の世界で再び再会をして
いるのだろうか?