昭和54年5月18日(金曜日)入院22日目 晴れ
1:05 小水少々
1:30~4:30 よく眠っていた
7:15 手、顔、足などを拭く
8:00 重湯 味噌汁少々飲む
9:15 検温 36.4℃
9:40 血圧測定
10:20 小水少々
10:25 体を拭く
10:35 点滴開始1本目
12:30 うどん少々食べ 番茶で口の中をうがいする
14:05 検温 36.6℃
14:55 小水少々
15:00 点滴取替え2本目
15:15 林檎汁1口飲む
16:20 板谷先生改心
17:40 重湯1口飲む
20:05 点滴取替え3本目
21:00 少し吐く
21:25 小水少々
22:30 林檎汁でうがいをする
22:55 大便
23:00 吐く(5分ほどかけて苦しそうに吐く)
23:10 点滴終了 このあと朝までよく眠る
昨日吐き気、嘔吐で眠れなかったせいか、今日はゆっくり眠ったようでした。
昨日とは違い今日はほとんど吐くこともなく、また少し穏やかな日が続くのかと思えるほどで・・・。
「目が見えなくなってきた」と口にするようになり、不安を訴えるようになったのもこの日からで
その目が見えないという訴えは最後まで続くのでした。
母のところには毎日家族も入れてだが、10人以上は必ずお見舞いの人が来ていた。
地元で入院して治療を受けたこと、これが本当に母にとって、私たち家族にとっても大きな支えとなり
もちろん今でも私たちはそのことに感謝をしている。
毎日2人ずつの付き添いなんて、今の時代では考えられないくらい親族の結束と、その協力体制は
口では言い表せないくらいの強いものだったと今自分が病院という場所に携わっている中でも
思うのでした。