遺骨がそばにある間は、話しかけたりそばにいたりできた。
納骨をいつにするかは割と大きな問題で。
私の叔母は1周忌までそばにおいておきたい。
遺骨がそばからなくなる寂しさを、私の母でものすごく感じたらしい。
私の母が亡くなったとき、叔母は本当に良くしてくれた私の母が亡くなったことも悲しかったけど、遺骨が納骨された寂しさは言葉では言い表せなかったらしい。
私もそうだと思った。亡骸が火葬されるときも気が狂うかと思うくらい悲しかった。
まだ遺骨があれば。
そうなのだけど、我が家事情で遺骨にお水もご飯もお花もあげられない。
私が実家にいないからできない。それをできる人がいない。
それだったら、毎日でもお花やお水あげてくれる場所に入れてあげた方がいい。
悲しかったけどそれしかないと思った。 それに、私の東京のここの家には父の遺骨がある。
毎日お線香もお水もあげられる。花も絶やすことはない。
そんな納骨。
思う以上に悲しかった。 最後の日は父の遺骨をそばに置いて寝た。
納骨の瞬間は父の遺骨を抱きしめて涙が止まらなくてしばらく抱きしめたままでいた。
綱を手から離す瞬間は声が出るほど嗚咽した。
毎日天気が悪くて、前日は大雪になっていた。
でも、納骨の日は嘘みたいに青空で足元の凍った雪も溶けていた。
そして、父を送り出す最後のご飯
お漬物以外は全て手作りにした。
こちらは最終的な霊供膳
迷ったのがこちら
大好きなかぼちゃのいとこ煮
でも、煮物2つはおかしい。ということになり和物悩んだ結果。
上のものにした。かなりキレイにできた。
おもちゃのような小ささ
胡椒の瓶よりも小さい霊供膳のお膳
絶対に手作りにしたかった。
まだ本当に夢を見ているような気がする。
不思議な感覚。
もう二度と会えない、もう二度と触れることはできない。それだけは事実。
やっぱり悲しくて、つらい。
そして、床の間の段払いもしたのだけどそれも悲しかった。
大きな仏壇のお掃除をして父のお位牌を入れてお仏壇を整えた。
これは段払い前の床の間