★☆★〜ボクとアタチのあしあと〜★☆★

大切な2チワワンと母のあしあとまったりと

突然の永遠の別れ

本当に来月には面会の予定を立てていた。

肺炎が良くなればまた施設で暮らせると思っていた。

そんな思いを打ち消すように折り返した電話口の看護師も慌てていて。

「今急に心臓の動きが弱くなって」

後ろでモニターのアラーム音がけたたましく鳴っている。聞き慣れた音だ。

悟った。ダメかもしれない。

とにかく今から行きます。

と伝え、兄、叔母に電話。ひとまず病院に行ってほしい事。

私は最短で何時の新幹線に乗れるかを調べ2時間後でしかない。

スタッフに連絡を入れ、一番大きなスーツケースに荷物を詰め込んだ。

最悪の事を想定して準備していたものを全て詰め込んだ。

ソラを抱え何度も振り落とし、家の鍵がついたキーケースごと失くしてしまう慌てぶりだった。

親友が時間休を、取ってくれ迎えに来てくれていたその足で病院へ。

病室に入るとすでに父は白い布をかけられていた。私は大声で泣いた。私のせいだ。

7時15分

医師からの話でも30分前にはナースコールもあって急変だったと。

私はその話を聞きながらも

私が介護のために引き取らなければそのままでいられたかもしれない。

自分を責めるしかなかった。

ごめんね。ごめんね。と謝るしかなかった。

頭は真っ白だけど、私しかこの後のことをやれる人はいない。

そこからはすべての手配、やり取り全てを担った。悲しむ時間を与えられなかった。

父の亡骸を家につれて帰りたくて昼過ぎには実家に戻った。

ソラちゃんは親友が部屋にあげていてくれたので先に待っていた。

じいじと会わせてあげると涙が止まらなくなった。

そこから不思議とソラちゃんは、じいじが寝ている座敷の部屋に入りたがり、座布団に寝そべり、じいじを眺めていることもあった。

その姿がまた辛かった。

大きな仏壇の前に父は横たわり穏やかな顔で眠っていた。

寂しくないように写真たくさん飾り普段使っていたものも並べ。

しかし、私は頭がパニックになりそうながらも、1ヶ月ほど前に叔父の葬儀を少しだけサポートしたのでその記憶を活かしながら担当者さんと対応。電話が途切れる事なく鳴り。

立派な形で送ってあげたいと選ぶものも躊躇しなかった。斎場の1番大きな部屋を取り祭壇にはたくさんのお花、親戚一同からの花籠も私の職場からの供花も立派なものが並べられた。有難かった。

立派なお着物を着せてもらった父。

何度も頬をすり寄せて最後の別れは本当に辛かった。

片時も離れたくないとずっとそばで泣いてた。