昭和54年5月22日 (火曜日) 入院26日目 晴れ
0:00 黄色のものを吐く
1:45 小水大便少々
4:20 吐く とても苦しそう。「腹のそこから痛い」と言っていた
6:35 7:20 吐く
8:05 小水大便少々
9:15 大きく吐く血が混じっていた
9:30 シーツ交換
10:00 血圧測定
10:10 お尻に注射をうつ 点滴開始1本目
10:15 検温 35.9℃
10:50 黒ずんだものを吐く 腹の底から痛みがあるようだ
10:55 体全体を拭いてもらう
11:55 小水大便少々
12:20 点滴取替え2本目
13:10 点滴が入らなくなったため、暖めて血管をやわらかくするため針を少し抜いて休む
「手先と、足のつま先が冷たくしびれる」しかし体の中が暑いらしく「暑い暑い」と
言って毛布さえも掛けるのを嫌がる
14:10 休んでいた点滴再開2本目から
14:25 検温 36.4℃
14:40 点滴漏れてしまい左手に差し替える
15:15 点滴がまた漏れる 差し替え今日は点滴が入らなく5回も差し替えをした
16:30 小水大便少々
16:50 眼科斉藤先生に診察をしてもらう
「そんなに見えないことはないんですがね」と言っていく
17:00 17:30 吐く
18:00 1時間ずっと吐き通し 点滴取替え3本目
18:30 吐き止めの注射を点滴に注入
19:55 小水
21:00 点滴終了
21:10 「点滴の後が痛い」と言うので熱いタオルでもみほぐす
21:30 足の裏をもむ
21:40 吐く (実妹、義理姉泊まり)
23:05 小水
この日も母は嘔吐に責められ安楽な時間を過ごすことができなかった。
点滴も針を刺すことが困難なくらい血管は閉まってしまい、何度も痛い思いをした。
今の時代だったら、こんなに点滴を何度も挿すこともなく中心静脈栄養の手段を取り
持続的な点滴が施され、経口摂取できなくても高カロリーで生命の維持を図ることができる。
しかし、おそらく現代でも母の癌の進行を食い止めることはできなかっただろう。
しかし、もっと、抗がん剤の使用などで、余命を少しでも長くし、痛み止めの効果的な
治療も望めただろう。抗がん剤の副作用があったとしても、それをできるだけ最小限にする
副作用への対応薬もある。
こんなに痛みで苦しむこともなく・・・。それがその頃の精一杯の治療法だったのだろうか?