昭和54年5月20日 (日曜日)入院24日目 晴れ
2:50 小水少々
「目が見えないが見えるようになるかしら?・・・先生に言ってもだめかなぁ?」
と言って悩みを話した。「自分の母より悪い。何とかしてもらいたい」と言って困った。
目が見えないことをすごく気にしている(実姉記)
3:40 お尻に眠れる注射をしてもらう
7:20 顔、手を拭き口をゆすぐ
8:15 朝食(いつもより多く色んなものを食べる)
9:40 大便
9:55 検温 36・4℃
10:00 点滴開始1本目 お尻に小水の出る注射をうつ
10:25 血圧測定
11:55 色んなものを食べる
12:00 せっかく食べたものを全て吐く
13:55 点滴取替え2本目
目が見えないこと、子供たちのこと、みんなに世話になったことなど、色々話して泣くので
落ち着かせるのに困った。とても神経が立っている(実妹記)
14:30 検温 36.2℃
16:25 大きく吐く(少なかったが黒ずんだもの)
16:40 夕食にとろろ芋のすったものを3口ばかり食べる。サツマイモも2口食べる
17:50 大便、小水をする
19:00 点滴取替え3本目
19:15 点滴の針先が痛むため蒸しタオルで手を温める
22:10 「大便がしたい」といい便器を入れるが何も出なかった (義理姉二人泊まり)
22:50 点滴終了
23:00 色のいい小水と代弁をする
23:07 大きく吐く、夕食に食べたそのまま吐かれる
母が亡くなったこの年明け早々に、母の実の母(私の祖母)が食道がんで亡くなっている。
その実の母よりも自分の症状が悪いと思うことに不安になり、泣き出すことが多くなっていた。
思うようにならない病状や、人一倍、人には迷惑を掛けたくないとしてきた母の性格では
兄妹や親戚に看病をしてもらって、自分はなにもできないことをとても苦しく思っていたに違いない。
当時の私たちは幼く、子供の世話ができないことも、母性の強かった母には辛いことだったと思う。
その不安がまた1日1日と大きくなっていく。