昭和54年5月21日 (月曜日)入院325日目 晴れ
5:40 大便をする
大便をする時、太ももを撫でて
「まだこんなに肉があるもの。これが全部痩せるまでだいぶかかる。
それまで皆に迷惑かけるね」と話をする。自分で分かっている涙が出てくる(義理姉記)
7:50 ジャガイモ2口食べる
9:40 検温 36・0℃
10:20 小水、大便
11:05 点滴開始1本目
11:20 黒ずんだものを吐く、苦しそう
13:05 点滴取替え2本目
13:15 黄黒いものを吐く
14:10 検温 36.3℃
14:15 血圧測定
15:20 大便 「下腹が痛い」と言う
16:35 院長先生回診
16:40 真っ黒い水を吐く すごく苦しむ
17:00 目が見えなくなっってきたため、頭のレントゲンを撮りに行く
17:10 点滴取替え3本目
17:40 吐く (体を動かしてきたせいかとても苦しそう)
19:00 小水 大便少々 約10分ほどかかる
19:30 「点滴の針先が痛む」と言うため蒸しタオルで手を温める
20:30 赤茶けたような黒い水を吐く (義理妹二人泊まり)
22:05 小水 大便
22:55 点滴終了
この日から、ほとんど口から物を取り入れることは最後までなかった。
食べても、飲んでも吐く。黒い水は胃癌からの出血しているものと思われるが、じわじわとそれは
出ており、どんなに水分を血管から取り入れても,癌が吸い取り、母の体には栄養や活力となって
与えてはくれなかった。
母自身も、自分の死期を感じていたのだろう。痩せてきた自分の体が骨となるまで、みんなに迷惑が
かかることを気にかけ言葉とすることも多かった。
そう口にする、自身で分かっている母が、一番辛かったであろう。
そして、今はそのつらい気持ちを当時分かってあげることができなかった私も悲しい。
今だったら、どんな言葉をかけるだろう?慰めるのだろうか?それとも、ただ話を聞いてあげるの
だろうか?それでも、今だったら、その母の気持ちと辛さを面と向かって、接してあげることが
できただろう。今だったら・・・。