★☆★〜ボクとアタチのあしあと〜★☆★

大切な2チワワンと母のあしあとまったりと

昭和54年5月入院17日目

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昭和54年5月13日(日曜日) 入院17日目  晴れ
 1:20  小水
 2:35  点滴取替え3本目
 2:40 4:20 小水
 6:30  顔、歯磨き 手拭
 7:00  番茶を2口飲む
 7:25  メロン汁3口飲む
 7:38  小水
 8:00  味噌汁スプーン5杯飲む
 9:25  メロン汁3口飲む
 9:35  点滴終了し輸血前の生理食塩液に交換する
 9:50  検温 36.7℃
10:05  輸血開始1本目
10:15  小水
11:00  血圧測定
11:30  スイカの汁3口飲む
12:00  味噌汁と重湯3口飲む
12:55  輸血2本終了
13:30  点滴開始1本目
14;30  検温37.2℃
15:10  スイカの汁3口飲む
15:15  吐く
16:30  メロンの汁3口飲む
17:00  重湯、味噌汁3口ずつ飲む ジャガイモの煮物1/4食べた
17:30  点滴取替え2本目
18:45  メロンの汁4口飲む
19:45  小水
23:35  点滴取替え3本目
この日1度しか吐くこともなく、穏やかに過ごせた。食べる量もいつもより多くやはり回復への
期待が膨らんできていた。
以前母との思い出を兄と話したことがある。
私は一番末娘で押さなかったから、母との思いでも少ない。
兄は開口一番「すごく教育熱心な人だった」と話した。確かにそうだったかもしれない。
裕福でもない家庭であった我が家であるが、兄弟全員が小さい頃からお稽古事に通わされた。
自分で行きたいといったのかは定かではないが、ピアノ、そろばん、習字と1週間のほとんどが
お稽古事に通っていた。冬休みになると、書道室に閉じ込められ、母とマンツーマンで習字の
お稽古をさせられた。何十枚も書いても、母はOKを出してくれず「いい加減にして」と
根を上げることもあった。帰ってからの宿題も、絶対に終わるまでは遊ばせてはくれなかった。
それでも、私にとっては数少ない母との思い出の大切なひとつ。
写真はおそらく20代前半の頃と思われるが、私の部屋に飾ってある母の若かりし頃である。