★☆★〜ボクとアタチのあしあと〜★☆★

大切な2チワワンと母のあしあとまったりと

昭和54年5月入院18日目

昭和54年5月14日 (月曜日)入院18日目 晴れ
 3:20  点滴終了
 3:30  小水
 3:45  スイカの汁4口飲む
 6:15  小水
 6:45  スイカの汁3口飲む
10:00  スイカの汁コップ1/3飲む
10:10  身体全体拭き 着替えをする
10:30  小水
10:45  輸血開始1本目
12:00  昼食 お粥、味噌汁を飲む
12:50  輸血2本目
13:50  小水
14:15  検温 37.5℃
15:00  メロン汁コップ1/3飲む
15:10  輸血終了
15:15  点滴開始1本目
16:15  小水
16:45  少し吐く
17:30  小水
17:40  夕食 タイ吸い物 重湯 タイの刺身食べる
18:47  少し吐く
19:00  大便少々
19:06  点滴取替え2本目
20:00  1時間ほど眠る
21:00  粘り気のあるものを少し吐く(義理妹泊まり)
21:10  小水少々
23:30  目を覚まし、時間を聞き少し話しをする
「今日初めて自分でベッドの上で起きて朝食を食べた」と喜んでいた。
本当に嬉しいことだ。今日は昨日よりもっとたくさん食べることができました。

と日誌にはありました。長い夜何度となく時間を聞き、なかなか夜が明けずに
過ごすこともあったようでした。
母は丸山ワクチンを使っていました。それは、母の死後父から聞かされ、もちろん
母には内緒であることも知りました。
その注射を使っていることを私たちも知りませんでしたし、東京のある場所に出向き
丸山ワクチンを手に入れていたそのことを私たちは「東京に遊びに行ける」と喜んで
いたものです。
父とは母時々喧嘩をしていました。ほんの小さなことだったのですが、頑固な
父と母が衝突して母が家を飛び出して行ってしまったことがあり、私は母がこのまま
家からいなくなるのではないかと、母を追いかけて行ったことがありました。
もちろん、母は家を出るつもりではなく「ちょっと外の空気を吸いにきただけよ」と
笑って家の中へと一緒に戻ってくれました。仲がいいというわけでもなかった両親の
見えない愛を父の丸山ワクチンを取りに行くその事で感じました。
そして、他に治療方法がないという母の病気に対して、藁をもすがる思いで使い始めた
と聞き、さらにその愛情を確信したのです。
そして、病状が安定していた、ここ数日に終わりを告げるかのようにこの夜、母の病状は
急変してしまったのです。