★☆★〜ボクとアタチのあしあと〜★☆★

大切な2チワワンと母のあしあとまったりと

手術前日~手術のその日

昨日11日間の入院手術を終えて、無事に退院してきました
急性虫垂炎(盲腸)の手術以来の入院
それって、もうどれくらい前よ・・・。
というくらい、遠い話。
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6月5日入院。そのまま医師の診察を受けたあと、外泊。
日曜日は出張でしたからね。
出張を終えて東京駅へ家族を迎えに行き、そのまま宿泊用にリザーブした
東京ドームへと案内。
なんと39階と、私が泊まりたい位の最高のロケーションでした。
夕食を3人で済まし、門限間近になり病院へ戻った。
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手術前のシャワー。
この身体でいられるのも今日が最後。もう二度と同じ身体には戻れない・・・。
明日からその一部分がなくなるかもしれない。
シャワーからあがると、明日の朝渡す手紙を書いた。
家族には遠くから来てくれた感謝を・・・。
親友のゆーりんには、病状説明を一緒に聞いてくれたこと、手術室まで
一緒に行ってくれる事本当に嬉しかったこと。 これからも、一緒にいてほしいこと。
そして出会えて良かった。と。心から思うこと。
どうしても伝えたかった・・・。
書き終えたあと、眠くはなかったが手術に備え就寝をした。
日付は手術当日に なろうとしていた。
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やわらかいベッドは腰痛症の私には応えた
そして、外の電車の音がうるさい。
それでも、 5 時間は眠りいつもの起床時間には目覚めた。
今日は食事も出来ないし水分も取れない。
前夜「もう絶食の時間ですよね。あと5分あるでしょ・・・」と私の職場のスタッフが
お菓子を、こっそり持ってきた。
そのことを思い出しながら笑った。
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のんびりテレビを見ながら時間を過ごした。
しばらくすると早めに到着した家族がやってきた。
そして、手術前最後の処置。
髪をダイビングのときのように 2 つにみつあみをした。
病状の説明を一緒に聞いてくれたゆーりんがやってきた。
ゆーりんに手伝ってもらい、手術着に着替える。
外科時代に患者さんに着せていた手術着。まさかね・・・。自分がね。
着ちゃってるよ・・・。
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ほどなく、車椅子を持った担当の看護師に誘導され患…
手術室に向かった。
ひざの上には家族と、ゆーりんへの手紙。そして、私の愛するわが子たちの写真を持って。
手術室に入るところでみんなと別れる。「行ってくるね」そういいながら泣きそうになる。
私が手術を受ける手術室に入ると、緊張感と不安が高まってきた。
「お願いします」すでに、みんなスタンバイしてくれていた。
手術台に横たわると、少し担当医のみうと談笑。
ほどなく、麻酔が始まる。最後に言った言葉は「おやすみなさい」。
そういった後、急激な不安で手を握ってくれていた、手術室のエキスパートの同僚の手をぎゅーっと
握った。
その気持ちが、分かったんだと思う。握り返してくれた。
それがとってもホッとした。そのまま眠りに着いた。
 
名前を呼ばれて目を開けると手術室ではないリカバリールームだった。
まだ管が入っているので苦しい。
「ここからは頑張って息してくださいね」と言われるまま、深呼吸を繰り返した。
「今、何時ですか?」「14時すぎ」と言われ、一番の小さな手術では終わらなかったことを知った。
そして自分の患部に触れる。「やっぱり、ダメだったんだ・・・」
簡単にみうから話を受ける。
 
ショックな思いで病室まで運ばれた。
病室に戻ると家族が近寄ってきた。話すのもしんどい。話したくない。
食事がまだでしょ?と食事に促し一人になりたかった。少し眠りたかった。
傷が痛いとか、身動きができないとか、のどが痛い。とか。色々あったが、眠いのに眠れない。
ただ、2時間ドラマを頭に残っていないがまるまる見続けた。
 
1時間1時間がとっても長い。もう何時間もたった気がするのに、まだ2時間も経っていない。
しばらくして、ゆーりんがやってきた。
「ダメだったよ」と口にした瞬間涙があふれてきた。
そばにいた家族に「二人きりにしてほしい」と言い。泣いた。とにかく泣いた。
手紙に書いた感謝の気持ちをもう一度ちゃんと口にして「ありがとう」をいった。
 
家族が面会終了時間に帰っていった後も、テレビを見続けた。
痛いのか?どうなのか、自分でも分からなかった。動くことも辛いけど、腰も痛い。
ベッドの柵を押したり、引っ張ったりして、寝返りをうった。
口の中が気持ちが悪くて、何度も嗽いをした。
夜中の12時になった頃、痛み止めを使ってみようかな?
とお願いした。すぐに準備をしてきてくれた。使ってもらって分かった。
「気持ちよくなってきた、体が楽になってきた」
そこで分かった。「あ。私、傷が痛かったんだ」「早く使えばよかった」
 
そこから明るくなるまでぐっすり眠った。