★☆★〜ボクとアタチのあしあと〜★☆★

大切な2チワワンと母のあしあとまったりと

2週間

久々にPCを開きました。
このような時期でも、私たちは新年度の準備をしなくてはなりません。
そのためには、PCは必要な事も。
できるだけ短い時間でまた、しまうPCです。
 
さて、あの日から今日で2週間になりました。
2週間前のこの時間はまだお仕事場にいました。
面会にいらしていた方々の案内などに追われていました。同時に控え室にある大きなテレビで
信じられない光景を目の当たりにしていました。
 
少し振り返ってみます。
あの日本当に、本当に普通の午後でした。
患者さんのベッドの脇の椅子に腰掛け話をしていました。
地震の揺れを感じ「いつもの揺れですからね。大丈夫ですよ」と、口にした私はその揺れが
いつもとは違いあまりに長く次第に聞いたことのないような音を立てながら揺れ始める事に
「これはいつものとは違う」とっさに感じました。
 
声を出し、スタッフに散って安全の確認をすることを指示し、自分も回り始めました。
少し治まったかと思うと、再び、同じような揺れがまた始まった瞬間。
「これは尋常じゃない」大きな不安が襲ってきました。
2回目の大きな揺れが収まったとき空を見上げました。
お天気が悪いわけでもなかったその日なのに、空は暗い雲で覆われていました。
「なんだ、この空は・・・」
 
かなり古い13階建てのビルの中層階。
それはここに勤めて初めて感じた大きな地震。中層階でこの恐怖だったので高層階の
スタッフたちは本当に怖かっただろう。そう、思うとまた心も痛みました。
 
お仕事場を出たのが夜の11時。
一番履きなれたシューズに、水。休みなのに自転車で職場を見に来てくれたスタッフが
差し入れてくれたチョコレート。を数個持ち、家まで帰る路線に沿い、どこかで電車に乗れればいいかな?
程度の思いで歩き出した。
とにかく、ミクとソラが心配だった。お仕事場の事も心配だったけど歩いてでも帰りたかった。
耳には嵐の曲を聞きながら、歌いながら所々踊りながら。
歩く私より遥かに遅い車の動き。
通り道のコンビニの棚からは食料品が殆ど消え、どうなっちゃっているの?
という思いが頭の中をよぎる。
足首も、膝も痛かったし、最後の30分はほんとに辛くて、足をさすりながら休む時間の方が
長いんじゃないか?と思うくらいでした。
 
その後のことはブログにした・・・
たどり着いた家の写真。
 
リビング
イメージ 1
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お仕事お着替え部屋
イメージ 3
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ベッドルーム
イメージ 4
イメージ 6
3階の住人さんと話したがなんでもなかったらしい。12階の我が家は・・・。
 
あの日から東京は見たことがない姿になった。
買占めと補充がされないため、ものがなくなったスーパー。薬局。ディスカウントショップ。
電気が消え、車も少なくなった都心。
少しの報道で右往左往する人々。
被災地の方々がもっと、もっとつらくて、苦しい思いをしているのに動揺が激しすぎる東京。
毎日の出勤の姿は変わらなくても、混雑は続いている。
お仕事があるだけいいじゃない。
働けるって素晴らしい事。
お家があるって、素晴らしい事。
どんなものだって、食べるものがあるんだから、いいじゃない。
「大丈夫か?東京」
 
計画停電も私の住んでいるところは入っていない。
申し訳ない気持ちで、今日も寒いが暖房は入れずにいる。
必要な場所に必要なものが届くように。
何年たっても、きっと立ち直ることを願い、私にできること。